たこさんちゃんねる

WEBであったり、写真であったり、カメラであったり、旅行とか、なんかそんな感じとかでどうでしょうか。

交差点の花

いつも渡る交差点にお花が供えてあります。

 
ガードレールの下に、花束と、お茶。
風のせいか、倒れているときもままあります。
気づいたのなら起こせよと自分にむかっていいつつ、浸って欲しいわけでも、同情されたいわけでもないなんだろうなと自分で答えをだし、そこは自分が近づいていいパーソナルスペースじゃないと結論付けます。
花の種類・色、一緒に供えてあるものがお茶などから、高齢の方かなと想像します。
警察の立てかける看板には車と自転車の事故だということです。情報求むだそうです。
 
結構人も通り、他にも自転車が走っていくので、誰かがそれを倒したりしないか気になります。
そこで、もし倒れたとして、倒した人が気づかずに去った場合、自分はそれを直すだろうかと、考えます。
「したほうがいいこと」「したほうがわるいこと」以前の問題で、きっと自分は触らずに、青信号になったら渡っていくのだろうと思います。
なぜなら~だからという論理検証ではなく、きっと自分はそうする、という気持ちから。
 
たくさんの小説を読んでいる中で、そういった心理描写もなく、そうすることがさも当然のように行動する、そんな登場人物がいます。アニメでいう主人公キャラ。
目の前という程近くもないが、駆け寄ればすぐ寄れるほどの距離で、自転車に乗っていた男性が転びました。
また、そんな距離の交差点で、原付に乗った男性がカーブの時に転びました。
(この交差点、事故多いですね…。)
そんなとき、「駆け寄って大丈夫ですか?」って声をかけ、起きあがる手助けする自分を想像します。
それと同時に、いまこのタイミングで近づきたくないと言うように、手元のiPhoneに目を落とすか、自転車のスピードを緩めるわけです。
ただ、少し、「いつもの自分と違うことをする」「人に声をかける」という行動が、できない。
そして、すごく後悔する。
自分があっち側だったら、独りはいやだなって。
勧善懲悪、因果応報、身から出た錆、平家を滅ぼすは平家って。
自分が転んだときは、きっと独りだろうなって。
あの人は、すぐ駆け寄ってもらってたから、
日頃きっと良い事しているんだろうなって。
 
この交差点のお花は、いつまで続けられるのだろうか、とか、
お花があり、情報求む看板があるということは、ひき逃げだろうか、とか、
これは、不法投棄扱いになるのだろうか、とか、
花のない、交差点は、日本にいくつあるんだろう、とか、
事故現場に魂が居着くとして、世の中の交差点はどうなんだろう、とか。
 
まいにち、その交差点で立ち止まるとき、
思ったよしか、いろいろと考えさせられる交差点でした。